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東京家庭裁判所 昭和38年(家)54号 審判

本国 アメリカ 住所 東京都

申立人 ロバート・ジェイ・フード(仮名)

主文

申立人の氏(family name)を

「Hood」から「Hudachek」

に変更することを許可する。

理由

一、申立人は、申立人の氏「Hood」を「Hudachek」と変更することを許可する旨の審判を求めた。その理由とするところは、「申立人は生来の米国国民で、もと『Robert Hudacek』と称していたが、その氏名がチェッコ系のものであるため、英語を話す国民に誤つて多種多様に発音され、生活上種々の不便を感じたので、昭和三〇年(一九五五年)六月二八日米国ウイスコンシン州マラソン郡の巡回裁判所よりの命令を得て、現在の氏名『Robert Hood』に変更した。ところが申立人は右氏名の変更後、すべて『Hudaeek』と名乗る両親、五人の兄弟及び三人の姉妹との間に呼称上の疎隔を生じたのみならず申立人自身自己の血統を恥じてその氏名をアメリカ化したような感懐と反省とにとらえられた。そこで、自己の親族との呼称上の親近感を願い、且つ人間として自己の民族上の起源を呼称にあらわすことを希望するため、ここに『氏(family name)』のみの変更許可を求めることとし、発音上の難点は『h』を加えることによつて克服できるので、『Hood』を『Hudachek』と変更することの許可を得べく、本申立に及んだ。」というにある。

二、当裁判所が取り調べたところによれば、右申立の理由記載の事実はすべてこれを認めるに足りるほか、以下の事実が認められる。

申立人は昭和五年(一九三〇年)四月八日米国ミシガン州アイアンウッド○○○○○通り四九で出生し、同地において生育したが、前記巡回裁判所の裁判を受けた当時は、病院の技手としてウイスコンシン州に約八ヵ月間居住していた。昭和二七年(一九五二年)一二月から同二九年(一九五四年)八月まで軍人として滞日したが、同三〇年(一九五五年)八月以降は数ヵ月の帰国期間を除き専ら日本に在住し、○○大学及び○○大学大学院において学生として勉学を続け、本年四月以降米国駐留軍関係の事務所に就職し、少くとも数年はなお日本に滞留する予定である。ところで申立人は現在独身であるが、前記申立人の出生地には現に両親が居住しており、他の兄弟達と共に申立人の「氏」(「family name」)が「Hudachek」と変更されることを望んでいる。なお「Hudachek」と「Hudacek」とは発音を同じくされる場合もある上、申立人及び申立人の親族らは、前者の綴りをも慣用している。

三、以上の事実関係に基き、本件申立の当否を考察する。

本件の如き理由に基く「family name」(日本の「氏」にあたるものと解し得られる)の変更については、わが実定法上法例第二二条に準じてその準拠法を定めるのほかはなく、さすればそれは米国ミシガン州法ということになり、反致の規定が見当らないことなどから、結局同州法を以て本件申立の当否を裁断すべきものと考える。ところで、米国ミシガン州の制定法によれば、申立が十分な理由(sufficient reason)に基くもので、不正な意図(fraudulent or evil intent)から求められるものでないときは、検認裁判所(Probate Court)は氏名の変更(「change of name」。この「name」には日本の「名」のほか「氏」にあたるものも含まれると解される)を命令(order)することができるとされている(ちなみにウイスコンシン州制定法も氏名の変更を原則として認めている)。そこで前認定の事実関係を顧みるに申立人の申立は誠にやむを得ぬものを含み十分な根拠があると認められ、他にこの申立を排斥すべき事由(例えば再度の変更を不可とする如き)を見出し得ない(もとより日本法における関係法条たる戸籍法第一〇七条にいわゆる氏の変更を認める精神にも反しないであろう。)ので、本件申立はこれを許可すべきものとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 高野耕一)

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